服従の唇

 心音を邪険に扱う姉を咎めると、機嫌の悪そうな瞳で睨めつけられた。

「なら、アンタがオヒメサマを大切にしてやればいいじゃない」

 そっけない発言に、夕神は思わず顔をしかめる。

「そうじゃねェだろう。なにが気にくわねェのか知らねェが、小さな子どもに目くじら立てンな。まして、ココネは面倒な子どもってワケでもねェ。大人しくて素直な、いい子じゃねェか」

「わたしは、大人しくて素直なイイ子がキライなの」

 全く大人げない。夕神はため息を吐いた。こんな大人にはなるな、とせいぜい心音の反面教師になってもらおう。そう思って無言で背を向けると、

「ジン」

 呼び止められて振り返ると、姉はいつになく真面目な表情をしていた。

「わたしに、あの子は大切には思えない」

 繰り返される拒絶の言葉に、夕神は眉をひそめる。他人に関心のない姉が、ここまでひとを嫌うのも珍しかった。

「でも、アンタは大切にしてあげなさいよ」

「……なんでェ、急に」

「……あのコは、マリの娘だから」

 果たして、それは言葉通りの意味なのか。夕神は姉に問おうと、口を開き──。

 

 そこで、夕神は目覚めた。

 随分昔の夢だったように思う。あれは、姉と心音が大げんかをした時ではなかったか。姉はともかく、心音が怒るのは珍しいことだったので未だに覚えていた。

 夕神は心音を見た。腕の中ですやすやと寝息を立てている。長いまつげが閉じられている様も愛らしかった。伏せたまつげに口付けると、わずかに微笑んだ気がする。栗色の髪に頬摺りして、細い肢体を抱きしめ直した。

 数時間前まで絡み合っていたのに、今、もうこんなにも恋しいことを、夕神は驚きをもって受け止める。安らかでいてほしいのに、早く目を覚ませと望む自分。随分わがままなものだと、嫌悪感さえ感じた。

 自己嫌悪を飲み込んで、もう一度瞼に唇を寄せると、桜色の唇が緩んだのが見えた。

「……ココネ」

「えへへ。……おはようございます、夕神さん」

「まだ、朝には時間があるなァ」

 眠っていろ、と頭を撫でると、心音の笑みが深くなった。子どもの頃のように全身で抱きつかれて、少々どころではない罪悪感を感じる。そうして、罪悪感を飲み込むほどの喜びに胸が塞がれた。

「それにしても、夕神さんは早起きですね」

「……夢を、視た」

「どんな?」

「お前さんと姉貴が、大げんかした時の夢だ」

 答えると、ああ、と心音は思い出したようだった。

「ありゃ、なにが原因だったンだィ?」

「うーん。たしか、カグヤさんが『マリにはわたしだけでいいのよ!』みたいなこと言ってて、それでわたしなんかいらない子なんだーって言ったら、そうじゃないけどそうよ! みたいな無茶苦茶なコト言われて、わたし、ワケわかんなくて大泣きしちゃって」

「……なんだそりゃ」

 要領を得ない説明に首を傾げると、説明した心音本人も首を傾げる。

「そうですね。なんでそんな話題になったんだか……でも、それはもう覚えてないんです」

 まあ、7年以上も前のことだ。そんなものだろう。夕神は頷いて、災難だったな、と栗色の髪を撫でた。

「あ! でも、覚えてることもあります」

 心音は夕神の腕から飛び起きて、男の顔をのぞき込む。

「『夕神は希月に、忠誠を誓う』」

 その言葉に、聞き覚えがあった。

「カグヤさん、そう言ってたんです。でも、これってなんの暗号なんでしょう? 夕神さんならわかります?」

 ──夕神は希月に、忠誠を誓う。

 ──あの子は、マリの娘だから。

 ──アンタが、オヒメサマを大切にしてやればいいじゃない。

 夕神は、ため息をついた。暗号もないもない。ド直球だった。師も娘も、頭が良すぎて疑り深いところがあるとしか思えない。なぜ、気付かないのか。

「……夕神さん? 急に黙り込んで……さては、暗号の秘密を知ってますね?!」

「どうだかなァ」

 笑って心音の身体に手を伸ばすと、心音は話すまで捕まってやらないと身体を捩る。意固地な少女を組み敷きたくて、夕神は力任せに脚を引っ張って自らにひきよせる。笑いながら悲鳴を上げる心音。

「もー! やですからね! 夕神さんとカグヤさんの秘密、教えてくれないとキスだってなしなんですから!」

「そりゃつれねェな、じょうちゃんよォ」

 言って掴んだ脚を引き寄せて、膝に口付ける。そのまま手のひらを脹ら脛に滑らせて、次いで唇も寄せた。幾度か吸い付き、内股をまさぐると笑い声が密やかな吐息へと変わっていく。その変化にほくそ笑み、夕神は心中で姉に話しかけた。

 ──こういうこったろォ? へそ曲がり。

 アンタもでしょ、という声がどこかから聞こえた気がして、夕神はまた、笑った。

  昔から。ずっとずっと、昔から。これは、決められていたことなのだと思って、夕神は再び白い脛へ口付けた。

 

 

『服従の唇』Closed.